誤ち

„UM DAS RECHT ZUR BESTRAFUNG der Schuldigen zu haben, müssten wir uns erst von ihrem Verbrechen reinigen, das unter allerlei Verkleidungen in unserer eigenen Seele lebt. Aber wenn uns dieses Geschäft gelingt. werden wir, sobald es einmal vollbracht ist, gar kein Verlangen nach ihrer Bestrafung mehr tragen, und wenn wir uns dazu verpflichtet glauben, wird es im kleinsten Ausmaß geschehen und mit äußerstem Schmerz“ (Simone Weil).

 

「罪人を罰する権利をもつには、我々はまず彼らの罪について自分自身を清めなくてはならない。それは、様々な変装をして我々自身のこころにも生きているからだ。しかし、これが成功し、いちどなし遂げられると、我々は彼らを罰することを決して求めなくなる。もしそれが義務だと思われるときには、それは最小の程度でおこなわれ、最大の痛みをもっておこなわれるだろう。」  (シモーヌ・ヴェイユ)   (試訳)

 

引用元:

https://www.erzabtei-beuron.de/_SA-mobile/schott/schott_anz/index.html?datum=2023-11-13

 

ものがたり

「大きなものがたり」としての宗教

 

我々は普段は小さな物語を紡いで暮らしている

 

日本人は、大きな物語にであう機会は少ない

 

どこかのタイミングでそのような大きな物語に触れることがあるとして、その時にそれはその人に新しい意味づけをする

 

人間はどうして生きているのか

なぜ生まれてきたのか

何をしたらよいのか

 

常識をこえたところから世界と人間を説明するものとしての宗教

 

時間・空間を拡大することで、みえていなかったものがみえてくる

 

「自分を改めないといけない」という意識はある意味で落とし穴にもなる

 

自力と他力

 

他力、有縁の知識

 

 

(Eテレ こころの時代 

シリーズ 歎異抄にであう 無宗教からの扉 (1)「“無宗教”から開く“大きな物語”」 より メモ書き)

 

Warten

 

Geduldig sein heißt, einfach da sein, warten, bis etwas reif ist. Nur wer das Nichtstunkönnen, das Nichtssehen, das Ausgeliefertsein an die Prozesse des Wachsens und Reifens aushält, wird ernten können, was reif ist. Es liegt wohl in der Natur des Menschen, dass er alles selber machen will. Im Warten trägt er schwer an seiner Ohnmacht, dass das Wachsen und Reifen nicht ihm gehorcht, sondern einem anderen, dem inneren Prozess oder Gott, der das Wachsen und Reifen bewirkt. (Anselm Grün)

 

忍耐強くある、とは、何らかのものが熟すまで、ただそこにいる、待つ、ということを意味する。できないこと、見えないこと、成長と成熟の過程のなされるがままなこと、に耐えうる者だけが、熟したものを刈り取ることができるだろう。  人間の本性には、すべてを自分で成したいという意思がおそらくある。 待つこと、において人は自らの無力さに耐えるのだ。成長と成熟は人の思いのままにならず、それらを生じされるのは、内的なプロセスあるいは神、なのだ。(Anselm Grün)

(試訳)

 

創造

「こころの時代 」より、メモ書き

 

20倍の門をくぐり抜け、現役で東京藝術大学へ。しかし、藝大にしがみついてちゃ駄目だと思い、日本脱出をこころみる。

1960 卒業後イタリア ローマへ

「フォルマ」(1963) :関心が絵画から抽象画へ変化していく

ジェノバ  の明るさ、声、風、歌 を感じる。東京とは大違い。すきっとしている。光も違う。

ローマ生活続行

「オペラ」(1966) :抽象、立体への関心

風 との出会い。かたち、うごき、「うごくもの」のせかい

椅子に座っていると、ふと椅子の構造が気になり出して裏をみたくなる。日常のまわりのものが生き生きとみえてくる。

 

自然のなかにある人工物。たとえば山にぽつりとある看板。⇒美術館の絵より面白い

完成してる看板よりも塗りかけの看板とかの方面白い

「額にはいった絵」にはみえない面白さ、リアリティ

 

1966 帰国。造船所の援助を受けつつ制作活動

1967 「風の造形展」

 

偽物っぽい日本のバブルの時代

 

未完です、ずっと、プロになったことはない、ずっとアマチュアです

 

風は地球の呼吸で・・・・・・

   ・・・・・・そこにはリズムがある

・・・・・・うまくつかまえることのできるアンテナを張るのが  ぼくのやりたい仕事です・・・

 

世界6ヶ国をまわる野外展示展

フィンランド、モロッコ、ブラジル、ニュージーランドの無人島(マウリ族)

 

モロッコの女の子「こんなに美しい音楽を

聞いたことがなかった」

 

アート  政治でもなく経済でもなく

 

風 というメッセージとしての分かりやすさ

 

哲学者 梅原猛「風の流れの意味を知らせる布教師」

 

(風が奏でる「いのち」の賛歌 造形作家・新宮晋   初回放送日: 2023年7月30日  )

 

 

 

 

宗教学事典 より

  自らを生かす本源的な事の道理、あるいは一切を包み超えて生命を主宰するものに、いかに自覚的であり得るか、進んでそれに聴従するか否かで、同じように行かされつつも、その生かされようは天と地ほども隔たりを示すことを、古来、宗教は教えてきた。彼方から届けられるよびかけに心を閉ざし、己の想念にのみ従いゆくならば、足下に転落の穴は易々と開く、と。しかし、堕ち切って、深き淵からようやく外なる上方に眼差しを向ける者の傍らにも、その生の愚かさを含めての一切を知り司る者が共にあるかもしれぬことを、東西の古典的テキストは告げている。

 

(「宗教学事典」平成22年10月30日 発行、X.越境と深化、p.623 愚者 (谷 寿美)  )

 

 

カントリースクール

 

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(ホーマー 【田舎の学校 】 1871 |  セントルイス美術館、ミズーリ州、アメリカ)

 

澄んだ目と心で

 

  美術の活動では「見る」ことを通して、自分なりに何かを「感じ取る」場面が多くあります。そんな時、澄んだ目と心と対象と向き合うと、新しい発見や感動が生まれ、しばしばそれが創作意欲につながります。「芸術家は子どものころの目と心をいつまでも持ち続けている人たち」とよく言われますが、彼らは発見や感動の達人なのです。みなさんもこれから美術の世界と触れ合っていく時、今の澄んだ目と心を忘れないようにしてください。そうすればきっと美術の楽しさや素晴らしさに気づくようになり、自分らしい表現というものも見えてくるでしょう。

  ホーマーは19世紀のアメリカを代表する画家の一人で、身近の生活や自然を描くのを得意としました。「カントリースクール 」にも当時の授業の様子が、現実感を持って描かれています。客観的に描かれているようでいて温かさが伝わってくるのは、彼の澄んだまなざしの奥に対象への限りない愛情が宿っているからです。

 

(文:「美術1 自由な心で」p.2-3、日本文教出版株式会社、平成21,1,15 発行)

 

写真引用:

https://moo-arts.ssl-lolipop.jp/H/Homer/Homer.htm

 

絵についての参考:

https://mycolorm.exblog.jp/3330102/

あらゆるものにおいて

"Du bist gesegnet
in all deinem Ringen und Aufbegehren
in all deiner Sehnsucht und Hoffnung
in all deiner Verzweiflung und AngstDu bist aufgehoben
in deinem Selbstwerdungsweg
in deinem Einsatz für die Menschenrechte
in deinem Mitgefühl mit aller Kreatur
Du bist gesegnet
jeden Tag neu
in deiner Einmaligkeit und Stärke
in deiner Einzigartigkeit und Schwäche"
(Pierre Stutz)

 

「あなたは祝福されている

あらゆる闘い、抗議において

あらゆるあこがれ、希望において

あらゆる絶望、不安において、あなたは引き上げられている

自分自身になる道程において

人間の権利のための尽力において

あらゆる創造物への共感において

あなたは祝福されている

日々、あらたに

あなたのかけがえのなさとつよさにおいて

あなたの比類のなさと弱さにおいて」

 

(試訳)

 

(ドイツ語文献:  ein Zitat aus „Schott,Erzabtei St.Martin zu Beuron und DEUTSCHES LITURGISCHES INSTITUT“,Sonntag 9 Juli 2023)